”子ども”を語る時間を増やそうー小学校時代

 先日の気軽場であらためて実感したことがある。

大人たちは忙しさに負けて、いつも早く早くと時間に追われている。だから、子どもたちも何だか時間に追われている。私は自分の小学校時代を思い出して、子どもの特権とは何だろうかと考えてみた。

 学校では朝から漢字練習や数値計算がはじまり、休み時間と体育の時間がとても待ち遠しかった。放課後は班長だから班員も一緒にやるのだと言ってムリに遊具へ友だちを連れていった記憶がある。ある日、高学年の女の子が大車輪をしていた。これはスゴい!と心が燃えて自分も鉄棒にしがみついたけれど、足がつかない鉄棒では逆上がりも満足にできない自分を知り、これは日頃の努力が必要だと感じたものだ。中学年になると、ドッチボールが盛んになり毎日日が暮れるまでドッチボールをしていた。たまに高学年と一緒に混じってのドッチボールをすると、あきらかな体力の差を感じて先輩はやっぱりスゴいなと尊敬の念を抱いた。サッカーボールが流行る時期には、女の子と男の子の筋肉の発達の差を感じるようになった。

 思い起こしてみると、勉強だけでは得られない大切な人間関係を運動場の空間から教えてもらっていた。そこでは、勉強は今一つできなくても、運動で活躍する友だちもいた。大人に教わらなくても、勉強ができる友だちもいるし、運動ができる友だちもいて、仲間を大切にする友だちもいて、ひとりの時間が好きな友だちもいるのだということを知った。

 もしあの頃の自分に会って伝えることができるならば、

「時間を忘れて熱中すること」

「明日を考えずヘトヘトになるまで遊べること」

ことは子どもの特権だよ!と教えてあげたい。だから、今の子どもたちにもこの気持ちを伝えていきたいと思う。

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